受験シーズンに思うこと

学歴とその後の人生の関係について

今年も受験シーズンでしたが、コロナ禍でずいぶん様子が違っていたことでしょう。

さて、受験シーズンというと、いつも思うことがあります。

受験生の皆さんは、合否によって嬉しかったり、がっかりしたりしているかもしれません。

人生の先輩として、今の正直な気持ちを話します。

「いわゆる一流大学に合格したからと言って、この先の人生の成功が約束されたわけじゃない。逆に、希望する大学に合格しなかったからと言って、そんなの人生においてほとんど影響ない」

と思います(笑)。

受験生だったころの私の経験

ここで、私が大学の受験生だったころのお話をしますね。

中学生の頃はお勉強が得意だったので、高校はそこそこの進学校へ進みました。そうなると、大学はけっこう優秀なところを目指す羽目に。

私の母親がいわゆる「学歴偏重主義」だったのですが、母は自分が果たせなかった夢を私に託すように、「上智大学と東京女子大は受けるよね?」と半強制的(笑)。

まあ受けるのは学力に関係なく自由ですし、記念受験のような感じで受験しましたが・・・。

最初に受験した大学の試験が終わって帰宅すると、母が風邪をひいて寝込んでいました。

その2日後、日本女子大の入学試験の朝、私は体調が悪かったんです。吐いてしまいました。

それで、早朝診療してもらいに病院に行ったら、注射を打ってくれました。

さて、試験の1教科目の国語が始まって10分も立たないうちに、とても体調が悪くなりました。

手を挙げて試験官にその旨を伝えた後の記憶がありません。気づいたら保健室にいました。

その後は保健室受験をさせてくれましたが、途中何度もトイレに駆け込みつつ・・・という感じでした。

帰宅して体温を計ったら、38度。

母の風邪がうつった~!!!

というわけでその日は早く寝ました。

結局・・・

5つの大学を受験し、そのうち上智大学は英文科とイスパニア語学科を受験したので6学部でしたが、合格したのは神奈川大学のスペイン語学科のみ。

母が浪人を許さない主義だったので、神奈川大学へ進みました。

母親的には、超がっかりで怒りすら覚えるぐらいだったようですが・・・。

私的には、そこで先生や友達に恵まれ、スペイン語の勉強も楽しかったし、大学生活を満喫できました。

就職氷河期だったので、卒業後は派遣社員として働くしかなかったりもしましたが・・・

母が乳がんになり、父がリストラされて、父の実家のある三重県に移り住んでから見つかった派遣先の上司がまた「今どきこんないい上司いたんだ~」とびっくりするような人だったので、仕事もしやすくて、自分的にも成長できました。

最終的に幸せな人生を送っています

三重県での仕事をしているうちに、性格が前向きになりまして・・・。

さだまさしファンの素敵な人に出会い、結婚して群馬県に引っ越してきました。

そこで稲作やそのほかの野菜の世話など、農作業をたくさんすることになりました。独身時代は農業だけはやりたくないと思っていたのに、やってみると意外にできるもんだなと。

まあもちろん大変ですよ。炎天下で何時間も草刈りとか。虫大嫌いなのに、大根やナスやトマトにつく虫を片っ端から潰して歩いたり。

土いじりで手が荒れ放題。着物大好きな私ですが、気をつけないと指から血が噴き出して着物や帯を汚すので、着物を着られなくなったりとか。

農作業には時期があるから、その時期には旅行に行けない、コンサートも行けない(笑)。というか、春から秋まで、ほとんど出かけられませんが・・・。

それでも、「ものづくり」の楽しさは日々味わっていますし、何より旦那様との何気ないやり取りとか、とてもいい感じなんですよね。

今の生活に、学歴は何の関係もありません。

そういうものなんだな、と、最近思います。

上智大学に落ちてがっかりした日もありましたが、結果的に何の問題もありませんでした。

まとめ

というわけで、受験生の皆さん、合否で一喜一憂しないでください。

与えられた「場」で自分をどう生かすか、将来の人生設計にどう生かしていくかを考える方が建設的ですし、チャンスというものは受験の時だけじゃなく、いろんな時に巡ってきます。

そのサインを見逃さないようにしていれば、必ず人生がいい方向に回り始めます。

そう。「サインを見逃さない自分になること」が大事です。

ぜひ頑張ってくださいね。

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