人生の節目に、いつもさだまさしさんの歌がありました(その1)

中学生の頃に少し気になりかけていたさだまさしさんですが、19歳の時に友だちの影響で本格的に聴くようになりました。

ちょうど大学受験の頃だったので、「勉強の合間にさだまさし」という感じで、時間がある時はいつも何かしらさださんの歌を聴いていました。

ラジオ番組も聴くようになりました。

その中で、「大学受験で第一希望の学校に受からなかったとしても、そんなの長い人生の中ではたいした問題じゃないよ。それよりも大切なことが世の中にはたくさんある」というようなお話を聞き、本当に第一希望の学校に受からなかった私でしたが、すれることなく(?)過すことができました。

というわけで、私の人生でさださんに助けられたいろんな場面をご紹介します!

たくさんあるので、今日は「その1」ということで。

大学受験失敗(?)と学生生活

第1志望の大学に受からなかったばかりか、ほとんどの大学に落ちて、一つだけ受かった第4志望の大学に進んだ私は、最初のうちはやっぱり少しは落ち込んでいました。でも、さださんの言葉に励まされて、今自分が置かれている状況の中でベストな状態に持って行こうと努力しました。

考えてみれば、第1志望の学校って、世間で言う優秀な大学というだけで、勉強したい内容が学べるという意味では、第4志望の大学も変わらないということに気づきました。

そんなわけで、スペイン語を専攻して4年間、みっちり勉強しました。素敵な友だちや先生に恵まれ、卒業してみれば私に合った素晴らしい学校だったと思います。

大学で出会った友だちの一人は、年に一回は我が家に泊まりに来てくれて、楽しい時間をプレゼントしてくれますし、ゼミの仲間たちとは時々食事会をしています、もちろん、先生も囲んで。

この大学4年間の間に私のさだファン度はどんどん増していきました。ファンクラブにも入会し、コンサートにも出かけました。そして、友だちにCDを貸してあげたりして、さださんの素晴らしさを広めようとしました。それで新たにファンになってくれた友だちもいます。

さださんとスペイン語の予習復習に明け暮れた4年間でしたね~。懐かしいです。

母の乳がん闘病時にもさださん

会社勤めをしていた2001年、実母が乳がんということがわかり、闘病生活が始まりました。手術、放射線治療など、いろんな治療をするにつれ、副作用がつらかったり、今後の人生への不安があったりした母は、うつ状態になりました。父と私が会社に行くと、家で1人で過すことになる母が命を粗末にしやしないかと心配で、職場から時々家に電話をして母の生存を確かめたりした時期もありました。

そんな母の気分転換になるかもしれないと思い、さださんのコンサートに一緒に行くようにしていました。歌もいいけどトークもよくて、コンサートの後しばらくは、母に笑顔が戻っていたように思います。

さださんのピアノ弾き語り曲集を買い、私のピアノで一緒に歌ったりと、なるべく病気のことを考え続けないで済むように努力しました。日頃、音楽にあまり興味を示さない母でしたが、さださんの曲で気に入っているものがあり、よく歌っていました。

母が好きだったさださんの曲は、「奇跡 ~大きな愛のように~」「まほろば」「精霊流し」「夢しだれ(レーズンですが)」などです。

好きそうだったのですが、正確には歌えていなかったです(笑)。

2003年に父が故郷で仕事をすることになり、一家で三重県に移り住んでから、母のがんは脳に転移し、最終的に2005年に亡くなりましたが、さださんのおかげで少しは・・・と思うことにしています。

ということで、今回はこの辺で終わりにしようと思います。

次回のこのコーナーは、結婚するところからになるのかなぁ・・・考えておきます。

スポンサーリンク

シェアしてくださる方はこちらから。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ぜひフォローお願いします。